昨晩は読書会、『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』佐々木実著が課題図書でした。この本は結構なボリュームがありますが、経済学がわからない僕でも読めるぐらい親切に書いてくれています。
宇沢弘文についてもまったく知らなかったですが、今の自分の仕事につながる活動をいくつもしていた人で大変興味深かったです。 以下感想文
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『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』を読んで
今回の課題図書を読むまで、経済学に触れる機会はほとんどなかった。ニュースやテレビのドキュメンタリーで経済の動きがコンピューターによる解析で予測されているのを見たことがある。ひと昔前は解析結果が映し出されるモニターを睨みながら人間が投資の取引を行っていた。最近はすでにAIが自動的に投資の取引を行っているものもあった。見たときは漠然とそういうものかと眺めていたが、あの解析もどこかの経済学者が考え出した数式から導きだされたものだったのだろうか。
この本を読んで、経済学は経済の動きのモデルをデザインしている、と思った。そのモデルは、かつては文字で表され、現在では数式やグラフなどの図像であらわされている。その経済の動きのモ
デルによって政策が変わったりするので、ときには政治をもデザインしているといっていいかもしれない。宇沢が経済学を志した時期に経済学に数学が用いられるようになったという。宇沢がおこなった経済学の研究は様々なパラメータを取り込んで、それを数学で解くものであったと理解している。宇沢がノーベル賞候補になるほど優れていたのは、その数学力を前提として、どんな社会の現象や問題をパラメータとして取り込むべきかというところにあったと思う。特に日本に帰国してからの水俣病など環境汚染の問題、成田空港三里塚の問題、炭素排出量の問題など、根が深い大きな問題に立ち向かった。社会問題解決型の経済学だ。
さて、僕がなりわいとしている建築の世界もまた数学は重要なデザインツールである。建築の現代的または技術的な課題というのは数学で解かれるものがおおい。環境の解析や構造の計算などを思い浮かべていただければわかりやすい。これらの課題はコンピューターの技術革新でその精度が飛躍的に向上した。以前のような大企業の大型コンピューターではなくても十分な性能があるパソコンの普及で今や僕のような小さな設計事務所でも大いに活用できるようになった。今回受賞した作品でも環境解析を用いてデザインを導き出している。今回解決を試みたパラメータはベトナムの強い日差しの問題だ。この建物は3階建てで1層ごとに水平にずらして配置している。そこで生まれるズレによって生じる日影で建物を最適に冷やせる配置と方位をコンピューターによって解析し導き出した。本来、純粋に数理的に解析すれば流線型の有機的な形状になる。しかし現地の建設技術や建設コストを勘案してブロックモデル化したため、最終的には3つの箱をずらしたような形状になった。このときにブロック型にモデル化する際の恣意性については未解決の問題として残っている。
その他のパラメータとして選んだのは地域性である。建設される場所にこれまで作られてきた建物の特徴や地域の住民が持つ暗黙知のことだ。それについては屋根に反映させた。モデル化したブロック型の形状は傾斜屋根がない。それでは最上階は下階と同じような日照コントロールをできない。そこで現地に残る木造の建築技術を利用して軒の深い屋根をつくった。このパラメータについては数式で解決したわけではない。この屋根は僕だけの設計でなく現地の大工と一緒に設計することによって地域の暗黙知を取り込もうと考えた。またこれによって失われつつあるベトナムの木造設計施工技術をどうやって保存していくかを考え実践するきっかけにしたかった。
僕がこのような設計アプローチをとるのは、建築はクライアントのものだけではなく、街や都市の共有財産だと考えているからだ。それは建設後数年に限られた話ではない。未来永劫とまではいかないが、建てられた時代だけでなく、それ以降の世代のことも考えて計画しなければならない。今回の受賞作はベトナム北部の地方都市の別荘地に建設された戸建てのリゾートホテルだ。もちろんクライアントや敷地の状況に合わせて快適な住空間を提案するのは大前提である。しかしそれだけではない。建築の技術的な課題、建築の持続可能性であるとか、または地域の社会的な課題、ベトナムまたはその地域固有の建築文化の分析と反映も重要だ。
本書を読んでいて、経済学と建築設計というのは、すこし似ていると感じて驚いている。数理的な計算とそのパラメータの設定についてである。純粋に数理的なものというのは耽美的に美しい。建築だと眼前にかたちが立ち上がるのでわかりやすい。経済学でも数理的な美しさがあり、経済学者や数学家の人たちはきれいに解かれた数式を見て美しさを感じるだろう。帰国後の宇沢の仕事は、つくった数式は美しかっただろうか。きっと帰国以前の耽美的な美しさとは違っていたであろう。公害や社会問題など資本主義がつくりだした業の深い問題解決のためにつくった数式は、耽美的な美しさとはまた別な力強くて優しい姿があったのではないかと思う。僕もそんな力強くて優しい建築を追求していきたい。
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