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読書会 『銀河鉄道の父』 ハノイ


1年ほど前からハノイで1~2ヶ月に一度開催されている読書会に参加しています。

この会は課題図書について感想文を2000字で書いて発表し、大学の教授に批評いただいたり、参加者と意見を交換したりする会です。

今回の課題図書は『銀河鉄道の父』門井慶喜著でした。

とても楽しい本だったので、ご興味のある方はぜひ。

[アマゾン] 『銀河鉄道の父』門井慶喜著

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以下に感想文を載せておきます。

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『銀河鉄道の父』門井慶喜著を読んで


 詩人、宮沢賢治のお父さん、政次郎を中心に据えて、賢治のおじいさんの喜助、お母さんのイチ、賢治、トシをはじめとする5人の兄妹の家族の物語である。物語は賢治がこの世に生まれ出るところからはじまる。冒頭から政次郎の息子への愛情全開の様子から始まるが、当時は「女は花をあたためるように。男は霜をふむように」育てるのが常識の時代である。政次郎はときに自分の子育て方法に悩みながらも、賢治が病気で入院したときには自ら泊まり込んで看病をした。賢治が悪い遊びをしたときもあえて不問にし、「子供のやることはしかるより、不問に付すほうが心の燃料が要る」などと自分の気苦労がふえても賢治のことを尊重したりと、現代でもなかなかいないぐらいの寛容さで賢治のことを見守る。

 そんな父親に甘えて、賢治は自分勝手に思う道を突き進む。「質屋に学問はいらぬ」と喜助からいわれて政次郎は中学校に行くのを断念したが、賢治は中学校、高校へと進学する。卒業後は質屋を継がず、事業家になると言い出す。ついには国柱会という宗教団体の活動をはじめて、あげくに家出をし上京する。著者はこのことに対して「逃避」という言葉を使っているが、私はこれは賢治にとっての反抗期であるように思えた。父のように上手に質屋の仕事もできず、世間でいうところのまともな社会人にもなれない。でも自分だってできることはある。自分のやることを父親に否定され、であれば家を出て親の庇護を受けずに自分がやっていることが正しいことを証明したいと思ったのだと思う。賢治の場合はそれが国柱会の活動となって表面化するが、結局は物語をつくることにいきつく。トシの病気の報を受けて賢治が花巻に帰ってきたときに、賢治が「おらは、お父さんのようになりたかったのす」とつぶやくのは、父親の援助を受けずに、自分の力を証明しようとした結果、自分の未熟さを知ったことと、でも自分の作家としての可能性を少しだけ信じられるような作品ができたからではないだろうか。お父さんのように質屋にはなれないけど、子供を持つことはたぶんできないけど、お父さんのように生きるすべを童話の中に見出せたのではないか。

 ついに賢治は作家活動をはじめるのだが、残念ながら賢治が生きているうちに作家として高い評価を受けることはなかった。今回の課題図書を読んであらためて思ってことは、宮沢賢治の童話作品は声に出して読まないと良さを感じるのは難しいということだ。あるいは童話というのは全般的なそうなのかとも思ってみたが、グリム童話などは音読しなくても長所は伝わると思う。声を出して読まなければ良さが伝わらないような作品が、しかも当時誰も知らない一地方の作家がつくった作品が岩手以外の地方で、東京でいきなり評価されるのは困難であっただろう。でも賢治は生きている間に消費されなかったからこそ、亡くなるまで彼のコンセプトや創作が大きく侵されることなく残ったということもあると思う。賢治本人がその状況をどのように思っていたかはわからない。やはり本が売れないことや大作家に評価されてないことに、悔しさや辛さを感じていただろうか。たぶん焦りはゼロではないだろう。

 世間一般で一番有名な賢治の作品といえば「雨ニモマケズ」だろうか。この著書にも全文が取り上げられている。死の床についているときに、父が書きやすいようにと原稿用紙の代わりに用意した手帳に記されたものだから、作品というようなものでもないかもしれない。非常に普遍的な内容で、だからこそ戦時中には特に冒頭の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」という部分が行軍のスローガンとして使われたり、戦後には「玄米4合」という部分を「玄米2合」に変えて慎ましやかな生活の標語のように使われもした。私は本書中であらためて読んだときに、父、政次郎への憧れの言葉だと感じた。政次郎は質屋で農民にお金を貸して守銭奴扱いされることもあるが、村民の教育のためにお金を寄付したりもしたし、農民に対しても驕った態度をとらなかった。「自分には質屋の才がなく、世わたりの才がなく、強い性格がなく、健康な体がなく、おそらく長い寿命がない」と考えていた賢治の父親に対する強い憧れがこの詩にはあらわれている。また賢治が遺言で自分の死後に1千部つくって、みんなに配るように言い残した妙法蓮華経の影響も大きい。賢治が「宇宙的大生命が説かれている。」ともっとも心を寄せていたという第十六番目の寿量品には、財欲や色欲、飲食欲、名誉欲などにとらわれないようにとか、おごり高ぶって他人を侮るなかれとか、それによって怠け心を出さないようにとか、この「雨ニモマケズ」のエッセンスになるようなことが書かれている。この詩がおおくのひとの心に時代を超えて突き刺さるのは、大切にしている仏典の言葉を通じて、愛してやまないお父さんへの思いを込めて賢治が書いたものだからだ。(1995字)

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