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  • Writer's pictureTekemori Hiroomi

ハノイ読書会 『壱人両名』

昨晩は読書会にて『壱人両名』 江戸時代といえば士農工商という身分制度があり、一般的には支配関係や差別を連想するが、、というお話。 以下感想文。


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『壱人両名 江戸日本の知られざる二重身分』尾脇秀和 を読んで

2019年9月5日


江戸時代の戸籍とも呼べる宗門人別改帳は「名前を登録し、身分を公証する」役割があった。百姓は村ごとに、町人は町ごとに、この改帳がつくられ、武士は勤め先の部署ごとに名前が登録されていた。裁判など公式に身元の確認が必要なときにそれらの情報を照合し、身分相応の対処が行われた。本書では江戸時代の士農工商に基づく身分制度において、二重の身分を登録していた人々のことが具体的な事件とともに書かれている。もともと百姓だった者が商いも行っているため村と町の両方に登録があったり、町人が献金をして武士の株を買って武士の登録もあったりとさまざまなケースがあった。壱人両名は基本的には非合法であったが、必ずしも取り締まられたわけではなかった。本書の最後で著者は、壱人両名は、お互いが迷惑を被らない平穏な社会をつくり出すことが何よりも希求された江戸時代の「作法、慣習の一つ」であったと締めくくっている。この作法、慣習を「日本人の底流にある」「建前的な調整行為を是とする秩序観」として肯定的に捉えている。

本書を通して壱人両名のさまざま具体例に、それぞれ「なるほど」とは思ったものの、著者の上記のような捉え方には対しては、僕はあまり納得ができなかった。たしかに四角四面の息苦しい現在の社会に比べると、江戸時代の人たちはしなやかに対応していたと思う。しかし、このような秩序観は日本人の底流にあるものなのだろうかと疑問に思った。

僕は、壱人両名の原因は、長い江戸の時代のはじめに設定された士農工商という職業の分類が、その後期には現実の身分、職分にマッチしないものになったということだと思う。現代でも次々と新しい職業が生まれている。わかりやすいところでいえばYoutuberだろうか。新しいメディアの登場、カメラなどのテクノロジーの発達などによって、個人で映像番組を作ってインターネットで配信する仕事だ。TVの延長のような部分もあるが、特定のスポンサーを付けずに配信できるなど新しい職業といっていい。反対になくなる職業もある。世の中の多くの職業がAIにとって替わられるといわれている。例えば銀行のの窓口業務はAI以前にその一部をATMなどの機械にその地位を譲っているが、今後は融資の審査もAIが行うらしい。就職氷河期に苦心の就職活動の末、同級生が銀行に勤めた。あっという間にその仕事もなくなってしまう。

江戸時代に話を戻す。宗門人別改はもともとキリスト教を禁止した幕府がキリスト教徒を取り締まるために行ったものである。それが幕府の支配が安定してくるとともに元の役割を失い、取り締まりから管理に移行した幕府が戸籍として利用したものである。その戸籍制度と江戸時代の身分制度がうまくマッチしなかったために起こった問題が壱人両名であったといえよう。江戸時代の間にもさまざまなイノベーションがあったと思う。農機具の発達もあっただろうし、治水や肥料などの開発、流通の発展もあったのではないか。それによって百姓の働き方や収入も変わってくると、その産業の構造にも変化があったのではないか。その変化が生む実際の身分、職分と江戸の身分制度のシステムとのギャップを埋める新しい制度を当時の幕府がつくれなかったということではないだろうか。確かにそれによって建前的な調整行為はあったが、それは日本人の秩序観から起きたものではなく、制度の隙間を埋めるためのものにすぎない。

江戸時代が終わり壱人両名がなくなった。明治時代に近代的な戸籍制度が整えられた。近代化による分業や終身雇用制度の影響は江戸時代とは別の身分制度を生み出した。作業の役割を分担して、会社の中で社員に割り当てていく。会社はそれぞれの役割に集中してもらうために会社以外の仕事、いわゆる副業を禁止していることがおおい。「いろいろな仕事に手を出すのはよくない」というなんとなくの風潮が僕の子供のころから今まであったように思う。つい最近まで自分もそう考えていた。戸籍の住所よりも、その人の情報で一番重要視されるのは所属している会社だ。会社員ではない人、僕もそうであるが、にとっては非常に居心地が悪い。最近少し変わってきたのは先ほどお話したYoutuberみたいな職業が出てきたからだ。彼らは会社に属さずにマネージメントから制作、配信までほとんど会社組織をつくらないで始める人がおおい。彼らは自分のメディアを通じて、自分自身や自分の作品を社会に認識される。所属の会社で判断されることは少ない。会社に所属していても会社以外の仕事をしている人も増えている。会社の所属による認識より、会社員でありながらSNSなどによって個人で社会に認知されているひとも増えている。そういう意味で今は現代的な壱人両名の時代だと思う。江戸時代のときのような“違法でもしなやかな対処”というのは難しい時代だが、各個人が自由に自分のアイデンティティを世の中に問える現代は改めて幸せだと思う。

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