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  • Writer's pictureTekemori Hiroomi

読書会 『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』



歴史小説としても面白いが、リーダー論の本としても面白い。

チェーザレ・ボルジアはマキャベリの『君主論』、マキャベリズムの元になった人物。

当時のイタリアでは誰も考えていなかっただろうイタリア統一という壮大な構想力とそれに向かう一心不乱な行動力。

『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』 塩野七生著 を読んで

 本書は16世紀にイタリアに生きたチェーザレ・ボルジアの生涯の物語である。著者の塩野七生は『海の都の物語』などイタリアの歴史小説を書き続ける小説家で、本書は著者の2作目の作品である。ルネサンス期にイタリア統一の野望を抱いたチェザーレのディテールに富んだ描写が淡々と重ねられ、没入感が高かった。

 本書は第一部「緋衣」、第二部「剣」、第三部「流星」から成っている。第一部「緋衣」はチェーザレがフィレンツェ共和国のピサの大学で学んでいるところから始まる。父のローマ法王即位という大きな出来事によって、当時17歳のチェーザレの人生は大きく変わっていく。法王になった父アレッサンドロ六世の後押しでヴァレンシア大司教職を授けられた。そして翌年、愛人の子供というカトリックの教えにおける出生の問題を押し切って枢機卿になり、18歳のチェーザレは緋色のマントをまとうことになるのである。その後はマキアヴェッリが君主論の中で金と武力で法王の力を見事に発揮した父と評価した法王である父を師として「真の学問」をおこなう。チェーザレが19歳になったとき、フランス王シャルル八世がイタリア、ナポリへ侵攻する。しかし一度はナポリを征服するものの他国の脅威からシャルル八世はフランスに撤退することになる。侵攻の際にローマにはフランス軍が一時駐留し、法王もローマから離れることになった。この件をきっかけに法王は武力を持たない者の惨めさを痛感し教会軍の充実を計りはじめる。しかしこのとき法王によりその先頭に立つ者に指名されたのはチェーザレではなく、弟のホアンであった。ホアンはスペイン王国内にも地位を築き、状況によってはナポリ王にまでなれる見込みも十分にあった。一方でチェーザレは枢機卿という人もうらやむ重職につきながら、その出生の問題から教会内ではそれ以上の地位を望むことはできなかった。これが理由でホアンに嫉妬したのか、チェーザレは実の弟であるホアンを暗殺してしまう。そしてシャルル八世死後にフランス王となったルイ十二世と友好関係を結んだ上で枢機卿の職を辞し、いよいよ乱世のイタリア統一を目指して戦いをはじめる。

 第二部の「剣」ではその戦いの末にロマーニャ地方などイタリアの3分の1程度を支配下に置くまでになる。彼の手腕のなにが新しかったのかと考えると、それは既存の世の中を支配してきた宗教的な良心であるとか、道徳、倫理から離れ、現実的な合理性や有効性への判断で行動したところであろう。ではなぜ彼がこのような行動に至ことになったかというと、第一部で語られた教会世界、宗教世界での絶望が大きい。どれだけ能力があってもどうすることもできない出生を理由に道を閉ざすような、そんな世界の常識など彼には到底受け入れられなかっただろう。だからこそ緋色のマントを脱ぎ、戦乱の世界に身を投じ、その既存の価値観とは違う方法で、自分の求める最高の地位を目指したのだろう。  第三部「流星」ではチェーザレの凋落が描かれている。おそらくマラリアと考えられる病に法王と親子共々で臥したのち、法王が亡くなり、病に苦しみながら協力を約束し新しい法王に押したローヴェレ枢機卿からは昔の怨嗟を理由に裏切られてしまう。その後捕えられ、幽閉され、脱出するが最後は名もない雑兵に命を奪われる。第二部までの快進撃からは想像もつかない、あっという間のあっけない最後である。

 さて、この物語、特に第二部ののチェーザレから連想させられたのは、現代のITベンチャーや起業家たちだ。自分の目標に向かって一直線に進む過程で、古い価値観に捉われず、目標に対して合理的な判断、行動を行う。周囲を巻き込んで悪評が立ってもまったく気にしない。敵も多いが求心力はある。エネルギーに溢れていて、そのエネルギー、志が高い人間同士が惹かれあい、アライアンスを組む。チェーザレがダヴィンチと惹かれあったように、現代の起業家も大きな目標のために協力関係を築くことを怠らない。著者がタイトルにつけている「優雅なる冷酷」という理由はここにあるのではないか。その徹底した態度や余裕は、優雅に踊っているような躍動感を感じさせる。

 この物語にも登場するマキアヴェッリによってのちに著される『君主論』ではチェーザレの残酷さ、冷酷さによってロマーニャ地方に平和がもたらされたとも書かれており、成功する君主=リーダーとして評価されている。占領のための戦略ではなく、君主制における統治の手腕を評価されている。よりよい未来をつくるためなら、人から恐れられても人の心はリーダーから離れていくことはない。恐れられても軽蔑はされない正義があることが大切である。がんばって働いて、給料が上がるとか暮らしがよくなるとか自分の目標が達成されるとか、そういう結果に人はついてくる。このチェーザレのリーダー像は現代でも十分通じるものがありそうだ。

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